4月8日(金)ランドセル
4月8日(金)
おはようございます。今日はランドセルについて書きます。
まさに「新学期」です。
昨日は各学校で入学式や始業式がありました。
FBにもピカピカの入学式の記事が並んでいます。
新学期といえば「ランドセル」
大きなランドセルを背負って一生懸命歩いて学校へ行く小学1年生。
本当にかわいい。夢や希望に溢れてランドセルが可愛く揺れています。
最近のランドセルは色とりどりになりましたね。
私たちが小さいときは「赤」と「黒」
それ以外…「エンジ」があったかな?それも学年に一人くらい。
エンジのランドセルを見たとき、私は、え?あんな色のランドセルってあるが?
しかもそんなの持っていいが?そう思ったことをよく覚えています。
いつ頃からランドセルの色が増えていったかは記憶にないですが、
それだけ人の価値観が進化してきているのですね。
「赤」と「黒」のランドセルが当たり前。みんながやってることが当たり前。
それが少しずつこれもありじゃない?それぞれ自分の好きな色を持っていいんじゃない?
ずっと昔の日本は、お見合い結婚が主流で、恋愛結婚は珍しい時代もありました。
でも今では、ほとんど恋愛結婚です。社会の価値観が個々の価値観を尊重して社会を形成するように
社会全体の意識が進化してきました。
今は、ジェンダーという言葉も登場し、その社会意識はますます進化していっていますね。
最近、その変化にちょっとついていけないなあと感じることもあります。
このまま個々を大切にしていって全体はどうなっていくんだろう。
と少し不安になります。
みんなで一つのことに集中していこうとする時、なかなか人が揃わない、集まらないという現象は、
村祭り、町内会、学校、サークル、習い事、いろんなシーンで、見られるようになりました。
何がなんでも集まらなくちゃという意識は、昔より薄くなってきました。
意識の変化、時代の変化なのでしょうか。諸行無常。全てのものは常なるかなですね。
私たちが若い頃は、みんなでやるときは、みんなで一つになる、そして心を合わせて高みへ登る。
その意識が強かったので、みんなでやることの感動も深く高みへ登っていった記憶があります。
若い感性の時代だったからそう感じたのかな?
今の子供たちも一致団結してはいますが、一致団結した時間も、充実度も私が経験してきたものよりは
薄く、浅くなってきているように感じます。
これは、私が年をとってきたからそう思うのでしょうか?
皆さんはどう感じますか?
今の子供たちは、充分に体験していて、私たちの感じ方と違うだけなのかもしれません。
ここです。私たちは経験しているからそれがいいと思って一生懸命伝えようとしていますが、
子供たちは今の社会で充分やっているのかもしれません。
でも、私は心の充実度という観点からいうと早く生まれてよかったなと
感じることがあります。
今の時代を生きる子供たちのことを思うと、私が感じられた素晴らしい感動を
伝えたいと思うのですか、それは私のお節介でしょうか。
みんなで集まることが難しい社会になっているのに、そんなことは必要ないのかもしれません。
おじいちゃん、おばあちゃんが口うるさく言ってくれた言葉。
今頃になってどれだけ大切かわかります。
しかし、今口うるさいおじいちゃん、おばあちゃん、大人もどんどん減ってる。
それは、子供たち、若い世代にとって良いことでしょうか。
日本は、昔、家族があり、近所があり、地域があり、学校があり、社会があり。
大きい社会へ行く手前に、小さなコミュニティが、あっちこっちにありました。
そこで、親以外の大人に育ててもらった。
親のおこごとは聞けんかったけど、隣のおじちゃんのは、きいた。
そんな記憶がたくさんあります。
今の子供たちの小さなコミュニティは?
学校?学童?習い事?
携帯ができ、小さな子供もスマホを見て時間を過ごす今、
人と関わる時間が急激に減っていますね。
人と関わり合うのはめんどくさいこともありますが、
関わることでしか手に入らない幸せもあります。
ランドセルの話から話が広がりましたが、ランドセルは「赤」と「黒」
から「カラフルランドセル」の時代へ。
お互いを認め合う、個々を大切にする、そしてその先にある
私たちが住みやすい社会を今の価値観でどうやって作っていくのか?
いやいや、今も住みやすい社会だけど、私自身がそう感じられないのか?
いろん時代をいつの間にか生きてきて、振り返った時、60を迎える今、
どう伝えていけばよかは私にとって本当に大きな課題です。
皆さんは、どう思いますか???(微笑み)