4月15日(金) リトルの2年目
4月15日 (金)
今日は「リトルの2年目」について書きますね。
1991年12月 オーディションに合格した50名とともにスタートしたリトル。
毎週水曜と土曜の6時〜8時、市内の公民館や、立脇先生、須賀先生、小西ジャズダンススタジオの教室を
お借りして運営しておりました。
紆余曲折を経て、キラキラした笑顔がステージに弾けたのは、1992年10月。
演目は「月の塔のパセラ」脚本は中村美樹さん 音楽はよさこいの巨匠三谷章一さんと、前田建彦さん、
でした。オレンジホールでの3回公演は、どの回もほぼ満席に見えました。
華々しい旗揚げ公演でしたが、翌年は、運営費(月謝)を3000円から1万円に大幅増額されたことや、
やってみて色々見えたこともあり、劇団員は一気に減少しました。
1年目は勢いよくスタートしますが、2年目は、色々わかってくる分慎重になるのでしょうか。
1年目のパワーなりを潜めて乗り越えるハードルがはっきり見えてきました。
そして3年目からまたパワーアップしていく。
これはよさこいのチームにも当てはまります。
医師の上にも3年ってこういうことなんかなぁって思います。
なのでいつも、始めたことはなんでも3回はやなくちゃと心がけています。
そんなわけでリトルの2年目も1年目にでた問題と向き合う年となりました。
何より、製作費の削減です。
そして、選んだ会場は、ラヴィータでした。
ラヴィータの宮崎社長のご好意で、文化に助成くださる制度に選んでいただき、会場費は無料です。
しかも、仕込みも入れたら1週間貸切。専用の舞台を仕込んで、客席数が少ないので、5回公演しました。
後にも先にも、5回公演はこの時だけ。リトルっこよく頑張りました。
演目は「幸せのバーディ」幸せの青い鳥からヒントした作品です。
リトルの「幸せ」探しです。この頃は、人間の役はおばあさん役くらい(里佳先生当時中3)そのほかは、
ニワトリあら、ハチやら、生き物でした。(2期生入団で今は歌の先生となった真佐美先生はニワトリでした。)
私の大好きな「幸せダンス」もこの作品のナンバーの一つです。
幸せ、幸せ、と連呼する歌はシンプルです。
========歌詞の紹介========
幸せ 幸せ 幸せ、幸せ、ウッシッシっシ し〜あわせ
あ〜私って 幸せ あ〜僕だって 幸せ
あ〜お父さんも幸せ あ〜みいちゃんも幸せ
隣の鈴木さんも 学研のおばちゃんも
よっちゃん みなちゃん
カズ アルシンド
こうくん まっちゃん 曙 貴乃花
みなちゃん まもるくんも
アフリカゾウ シマウマ
キリン ナマケモノ
ラッコに ペンギン
恐竜 ネッシー
カバ イグアナも
みんな〜みんな〜
幸せ 幸せ 幸せ、幸せ、ウッシッシっシ し〜あわせ
あ〜何回幸せ言ったけ あ〜そろそろ終わっていいかしら
あ〜 あ〜 あ〜 あ〜 とっても幸せ〜だよ。
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これを子供たちが歌うとそれだけで「幸せ」になります。
遊び心満載。発想の素敵さ 難しいこと言わないけど、バシっと伝わる
これを聞いた時は、三谷さんの才能に惚れ惚れ〜。今もですがさすが巨匠です。
あの頃ステージに立ったメンバーも今は30代前半〜44歳くらい。
それぞれの「幸せ」は見つかったでしょうか。
この幸せの歌を歌ったら、またあの時とは違って心に染みるかな。
みんな「幸せ」を掴むのコツはミュージカルにあるってお話ししてきたけど、
身につけたコツをしっかり使ってるかな〜〜〜。
こうして、あの頃に思いをはせると私はとても「幸せ」です。
みんなありがとう。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
合掌✴️田村千賀