4月18日(月)隣のおじちゃん
4月18日(月)
おはようございます。今日は「隣のおじちゃん」について書きます。
(少し長いので、お時間あるときに読んでください)
私は、隣のおじちゃんに育ててもらいました。
私は、幼少期を「いの」で暮らしました。
いの町の実家の隣には、おじちゃんとおばちゃんと娘さんが住んでいました。
おじちゃん達は、私をとても可愛がってくれました。
小さい時、隣のお家に上がり込んで、いろんなものを頂いた記憶があります。
ジュースにアイスクリーム、いちご、お芋などなど。
自分の家と違うことも興味深々でした。
まな板を天日干ししているのが不思議で、
「どうしてこんなところにまな板おいちゅうが?」と聞くと
「お日様が、悪い菌をやっつけてくれるがよ」と。
お日様はピカピカ光るだけでなく、そんなこともできるのか!と小さい私はびっくり。
小さな私は、めちゃくちゃ隣が大好きでした。
隣のおじちゃんは、とても褒め上手でした。
おじちゃんは、いつも家の周りを掃除して、草をひいていました。
私はおじちゃんに、「おはよう」と声をかけました。
するとおじちゃんは「おはよう、今日も元気やねえ。ちかちゃんのおはようを聞いたらおじちゃんは元気になるぞね」
と言ってくれました。
それを聞いた私は、とても良い気持ちになって、おじちゃんに会うたびに
「おじちゃん、おはよう」と元気に声をかけました。
そのたびにおじちゃんは嬉しそうな顔をして「おはよう」と返してくれました。
ある時、母が「まあ、いつもすいません、お陰でこの辺が綺麗になります。」と
「おはようございます。」の後にオプショントークをつけたのです。
するとおじちゃんは、「いやいや、わしは草をひいたらすっきりするきねえ〜。よろこんでもらえてよかったわ」
と普段より嬉しそうでした。
「なるほど、おはようの他になんかつけたらおじちゃん喜ぶがや」と小さい私。
その次から、おじちゃんに「おんちゃん、綺麗になりゆうね」と言葉を足しました(なんと上目線…(笑汗)
するとおじちゃんは「ありがとう。そう言うてもろうたら嬉しいね」と返してくれました。
小さい私は、ちょっとお姉さんになった気分です。
そしてある日、おじちゃんは母に「ちかちゃんは、本当に挨拶がようできるね〜。いっつも感心する。
草引きしよってもちゃんと『綺麗になりゆうねえ、ありがとう』というてくれるがは、ちかさんだけぞね」と。
私の心はロケットに乗って空へ飛んでいくほど、嬉しかった。意気揚々でした。
本当は、もっとおじちゃんに気に入ってもらって美味しいものいっぱい欲しかっただけやったのに、
なんか褒められたことで、私はなんとも言えない良い気持ちを味わったのです。
これが「自己肯定感」っていうんでしょうか。
それからさらに気を良くした小さい私は、おはようの後につけるオプションを工夫し始めました。
「おじちゃん、おはよう。今日は天気がいいね」
「おじちゃん、おはよう。今日もきれいになりゆうね。」
(これはおじちゃんが喜んでくれる鉄板言葉なので何日間かおきに必ず言いました)
「おじちゃん、今日は暑いき、無理せられんで」
「おじちゃん、明日は、雨やと、テレビがいいよった」
などなど、
当時4歳です。かなりのオマセさんです。(笑)
このオプションご挨拶は、実は全てお守りのおばちゃんの真似っこです。
(私は、お守りのおばちゃんに預けられていました。
とても優しい方で、いろんな気遣いの言葉を毎日聞いていましたので、
いろいろなオプションネタはいっぱいありました。)
意気揚々と私は、おじちゃんにオプション挨拶バズーカをガンガンに浴びせました。
おじちゃんはちょと辟易したかもしれませんが、優しい方ですから、
そのたびにちゃんと答えてくれて、私はおじちゃんのことがますます大好きになりました。
最初は、美味しいものを頂きたい気持ちでしたが、いつの間にかおじちゃんに褒められたい気持ちになり、
おじちゃんの嬉しそうな笑顔を見たい気持ちへと、挨拶する気持ちも変わっていったのです。
4歳の頃の私は相当お転婆でしたから、隣のおうちの塀によじ登って、塀づたいに隣のお家に行きました。
玄関からは入っていきません。塀を登って降りるのが日課でした。(かなりのワリコトシでした(苦笑)
ある日、おじちゃんちの塀に登る時、足場にしていたブロックを壊してしまいました。
どうしよう!大好きなおじちゃんに、怒られる。そう思った私は、怖くなって黙って家に帰りました。
当然そのままで終わらない。どうしようと自責の念で困りはてて、たまらなくなった私は、
母に「おじちゃんちのブロック壊した」と白状しました。
母はすかさず「悪いことをしたら、あやまらないかん。ちゃんと謝ってきなさい」と私を一人で
おんちゃんのとこへ行かせました。一人で行くのは相当怖かったです。
私は勇気を出して「おんちゃん、塀のブロック壊した。ごめんなさい」と必死で言いました。
おんちゃんは、珍しく厳しかった、「あぶないろう。もう塀に登ったらいかんぞね」
「うん」と言いながら、私の目は涙でいっぱい。自責の念から解放された安心感。
そして、厳しさの中に、私を思ってくれるおじちゃんの気持ちに、なんとも言えない優しさと
ホッとした気持ちと、大切に思われる嬉しさと、いろんな気持ちが混ざった涙がいっぱい出ました。
私はその日以来、塀越しにおじちゃんちに行くのをやめました。
それからも、おじちゃんは優しくて、美味しいものをいっぱいくれるし、膝の上にだっこしてくれるし、
もちろん、オプション付きご挨拶もしっかり続きました。
小さい私を育ててくれたのは、隣のおんちゃんの優しい笑顔です。
もちろん、おんちゃんはお星様になっていますが、今もよく思い出します。
おんちゃん、ありがとう。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
合掌✴️田村千賀