5月15日(日) 母の一周忌
去年の今頃は、母と話が出来ました。
次第に衰えていく母の体を心配しながら、「永遠」はないよね。
と、心でくるべきその時をぼんやり覚悟していました。
母が静かに旅立ったのは、去年の5月20日の朝でした。
早くも1年が経ちます。
本来なら、49日に納骨するのですが、とてもそんな気になれず、
納骨も1年伸ばしていました。
20日の前の日曜日は、5月15日ということで、少し早めの1周忌法要をしました。
親戚の皆さんに集まっていただき、お線香の香りと住職の雄々しい声の響きに
慰められながら、姿は見えないけれど近くにいるなと感じておりました。
天に登って母とはお話はできないですのが、時折通訳できる人いてくれたらなあって
本当に思います。
やっぱり幾つになっても話したいですね。
無理だとわかっているのに、やっぱり話したい。
母は満95歳まで長生きしてくれました。
でもまた生きるつもりだったと思います。
100歳までと話していましたから。
私が、心にポッカリ穴が開いて不安定になったのは、去年の12月くらいでしょうか。
なんとも言葉にならない後悔と向き合ったり、自分の生き方がこれでよかったかと考え込んだり…。
母を幸せにできたか、もっとやれることがなかったか…。
みんなは、「そんな顔しよったらお母さんが心配するぞね」と慰めてくれて落ち着く。
落ち着いては、また考えての繰り返し。
そういえば、小さい時からなんか悩んだ時は、なんとなく母の「まあ、えいわね」
の一言で次へ進めていたなあと思い出しました。
「まあ、えいわね」
何がいいかもよくわかりませんが、やっぱりホットしたものです。
私は、ただ「まあ、えいわね」って言われたいのだなとわかりました。
母のお墓は父との夫婦墓です。父が死んだ時に、母がそうすると決めました。
二人並んでそっとそこにいます。
父が旅立って35年も経ちました。
今頃、空の上から、二人してニヤニヤしながら眺めてくれていると思います。
「さあまた会えるまで、もちょっとこの人生を楽しむのでみよってよ。
一緒に色々やろうね。」
と二人に心で話して、山から降りてよさこいを盛り上げにいきました。
最近子供が親を選んで生まれてくる説を信じております。
私は覚えていませんが、母を選んで正解と思っています。
お母さん、産んでくれて、ありがとうございます。
天に向かって手を合わせます。
合掌✴️田村千賀