ブログ 再開 11.20(月)よさこい8 ① はじまり
よさこい8がスタートしてのは、2020年の5月1日。
世の中はコロナウィルスに翻弄されて、約半年くらいだった。
いろんなものが、どんどん中止になっていく。
学校も一斉にお休み。なのに幼稚園保育園はやってる。
な〜ぜ〜
サッカー、バレーボール、コンサート、イベント…。
なんでもかんでも続々中止、
そして、春の甲子園も中止〜。
えらい人は言う「不要不急の外出は控えて!!」
不要不急って?? どの基準〜??
頭に浮かぶ???も、社会の波に押し流され、
とりあえず命を守ために、大多数の人に合わせてながれていく。
なのに、守りきれない命。
な〜ぜ〜???
反対意見はたたきのめされ、
な〜ぜ〜の言葉さえ、どっかに押し込まれた。
誰も、はっきりした事は、わからないまま確実に時間だけがいつもと同じペースで流れていった。
これは、よさこいもなくなるやもしれん。
そんな心配がちらほらしていた4月の中旬。
そんな時、電話がなった。
もしもしと取ると、某大学教授から。
ものすごく久しぶりの電話にびっくり。
「先生、こんにちは。ひゃー、懐かしい。
今日は、どうされましたか?」
「田村さん、急な電話でびっくりしたろう。
去年の4月30日から5月1日は、元号が平成から令和になったでしょう。
43051とかいて真ん中のOをとれば「よさこい」
平成令和とかいて、令に成るをとって残るのは、「平和」
こんな時期だから、4月30日か5月1日に世の中が、平和になるようなよさこいイベントをやったらどうでしょう。」
「先生、いいですね。やりましょう。」
私は、だいぶ興奮気味に電話を切った。
そう、今やらないかん。全てが中止になっていく中でも何かできることをしていきたい。
コロナさえも理由にしたくない。
コロナに負けたくない。
そんな気持ちが火山のように噴火してきて鼻息が荒くなった。
絶望感への挑戦だったのか。何かして不安を拭いたかったのか。
私の心の中にあるメサイアコンプレックスが疼いたか。
何かわからなかったけど、とにかくやらなきゃ!そんな気持ちに掻き立てられた。
その頃、たまたま、よさこい振り付け師たちにのぶ先生から集合がかかった。
こんな時にみんなを元気にしよう!
みんなで集って飲むのをYOUTUBE配信しようというもの。
少しでも元気だそう〜ってメッセージを送りたい、ノブ先生の純粋な心に、
時久紀恵先生、工藤理恵先生、樋口美加先生、小倉卓浩先生、國友裕一郎先生、私田村千賀が集まった。
この7名の振り付け師たちは、年齢も近い。それまではそれぞれの振り付けに没頭するばかりで、
さして深い交流もない関係。しかし、この7名で、よさこい祭り入賞チームのほぼ8割を占める。
世間の皆様は、それぞれ反目しあい、仲が悪いと噂されることもあった。
実際は、ただ交流する機会がなかっただけ。
そして、時を同じくして、国際絆チームの田中恵美子さんが精力的に活動していた。
恵美子さんは、日本人だが、カナダ在住。日本語の先生をしながら、世界の踊り子を集めてチームを組み高知に踊りにくるすごい行動力の持ち主である。
2020年も、と準備を進めてきたが、パンデミックの荒波をモロに受けていた。
しかし、もともと踊りの練習は、ズームを使ってオンラインでやっていたこともあって、世の中がズームって何?っていう時代に、サクサクとズームを使いこなし、100人で成長よさこいを踊る企画をしていた。
そこに、ゲストとして呼ばれた田村千賀は、世界のあちこちからパソコンの画面に集まった100名以上の人が、鳴子を一緒に鳴らして正調よさこいを踊る絵に、鳥肌がたった。
新しい時代がきた〜〜〜〜!
まるで明治維新のような感覚。(明治維新は知らないけど…苦笑)
衝撃的な体験をしたのが、3月。
のぶ先生がYOUTUBE飲み会を企画したのが3月末。
しかしコロナの感染拡大で、飲み会はキャンセルされ、ノブの企画は泡と消えてしまった。
そして、宙ぶらりんになったよさこい7に、時久先生が、RKCでよさこいテレビ体操をやろうと企画。
7人でそれぞれよさこいをもじった各意インストラクターの個性が爆発した体操が放送された。
いろんな活動は、今思えば全てよさこい8へと続いていったように思う。
まるで何かに導かれるように。
そして、振付師7名と恵美子さんに声をかけた。
恵美子さんなら、世界へこの活動をつなげてくれる。そう直感した。
4月の半ば、よさこい8はスタートした。
〜今日も読んでくださり、ありがとう。田村千賀〜