4月14日(木)「ちょうどいい」

4月14日(木)

今日は、「ちょうどいい」について書きます。

ミュージカルや演劇のセリフには、みる人にとっても、演じる人にとっても
また制作に携わる方にとっても、必ずその時の自分にとって「ちょうどいい」ものがあります。
この前のリトルの公演の中にも私にとって一番のセリフがありました。
「いいところを見つけて 信じる」
「なんとかならないことをなんとかする。それが大事じゃないんですかね」

ミュージカルや演劇だけでなくて、コンサートや映画、本も同じ。
その時に私に必要な「ちょうどいい」ものと出会います。

不思議ですね。ちょうどいいものに出会って、ああそうだそうだと元気や勇気をもらったり、
そうだよね〜と反省したり。心を動かされます。

エンターテイメントマジック!!!
だから文化はなくてはならないものだと思います。
お腹が減ったらご飯を食べるように、心が乾いたら文化で潤う。

「文化」とネットで検索するとすっごくいっぱい情報が出てきますが、
今日のブログでの捉えは、心を動かして創造するものとしておきますね。
そう考えるとたくさんあります。
ダンス、音楽、映画、テレビ番組、書道、花道、茶道、本、美術、料理、よさこい、あげればキリがない。
何を着て、何を食べて、どんな言葉を選んで話すか、それすらも文化に入れるとしたら、
生きて生活していること全てが文化になりますね。

そんなたくさんの「文化」から自分に「ちょうどいい」ものに出会うなんてすごくないですか?!

視点を変えれば、自分の求めているものが、求めている分だけ自分に入ってくるから
「ちょうどいい」ということになるのかもしれません。

ある人に、『千賀さんの今の現実は、今の千賀さんに「ちょうどいい」現実ですよ。』
と言われたことがあります。この時私は、とても悩んでいたので、すぐさま、「こんな現実は嫌だ〜〜」
と心の中で叫びました。

変えたい!!

自分にちょうどの現実なら、自分が変われば現実も変わる!!
そう閃いた私は、それから欲しい現実になるために「ちょうどいい」自分を探すようになりました。
どうすれば変われるか。そのヒントはミュージカルのセリフにあった「ちょうどいい」言葉です。

本当にミュージカルやってて良かった〜〜。って思います。
育ててもらっています。(笑)

私は、確かに「いいところを見てなかった」と気がつきました。
「いいところを見つけているのに、さらにこれがあったらよりいいのに」と足りない事ばかりに目を向けていました。
自分が光を当てたところに、子供たちの成長はあります。
足りないよと言われるよりいいねと認められたら伸びますね。
植物が太陽に当たると育つように。

「ちょうどいい」は本当に深いですね。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

合掌✴️田村千賀




4月13日(日)「リトルのあい言葉」について

4月13日(水)おはようございます。

今日は「リトルの合言葉」について書きます。

リトルには、合言葉があります。

1、元気が一番
2、挨拶ができる
3、笑顔を忘れない
4、一生懸命は自分で作る
5、最後までやり通す

この合言葉は、リトルを作った寺沢くんが考えてくれました。
最初は、それほどにも思いませんでしたが、年月が経つにつれて、実に良い言葉だなと
思います。子供たちと練習の最後にこの言葉を言ってから終わります。
リトルの活動は長く続けると最長15年くらいになります。
その間、この言葉の深さをみんな体感していきます。

一つ一つについて書きたくなりますが、今日は「あいことば」について書きますね。
(そうじゃないとこじゃんと長いことになりそうですき。)

あい言葉は学校にもありますね。私の卒業した玉川大学の合言葉の一つに、
「人生のもっとも苦しいいやな辛い損な場面を真っ先に微笑みを以って担当せよ」
と言うのがあります。これは玉川学園の入り口にあった池の中にたつ石碑に刻まれていました。
(今は、風景が変わっているかものhしれません)
初めてみた時は、なんと長い合言葉だと思いました。
それまで私のみてきた合言葉は「自主 全力 協同」(いの小学校校訓)
「努力」「忍耐」(バレエ教室に掲げらた言葉)
そんな漢字二文字でしたから、玉川の合言葉は、とても新鮮でした。

この合言葉の通り、大学の友人達(玉川学園は幼稚園からあるのでずっと玉川で育ってきた友達)は、
本当にいろんな場面で、人がやりたがらない事を率先して、しかもニコニコと普通にさらっとやってしまう姿
を見て、私も自然とそうしました。

この言葉は人生を送るほどに、深い物だと感じます。
また、社会に出てから、ある人には、「あんたバカじゃない・そんなんソンやん」とか
「あんたえいこぶっちゅうがやない?」とか言われることもありましたが、
心の中で「ふふふ。そっちの方が本当は、そんしちゅうと思うけど…」と、呟いておりました。
やってみないと、その価値がわからない。「因果応報」したことは返ってくる。
このあい言葉の大切なところは、「微笑みを以て」と「真っ先に」と言うところです。
これは本当にそうしたいと思ってやらないと、真っ先にもできないし、微笑みなんて出るわけもないのです。
心のあり方を説いた大原國吉先生(玉川学園創設者)の力強い愛と情熱を感じます。

そう合言葉は「愛言葉」なんですね。作った人の思いがこもっている。
それを育てた人達の思いが重なって伝わり、「愛」が深まっていく。

リトルの合言葉も、リトルを作ってくれた寺沢氏の思いに、リトルの子供達が経験した思いが積み重なって
「合言葉」となってきました。
シンプルでわかりやすくて大好きです。

みなさんも、きっと愛言葉をお持ちだと思います。
その愛言葉を唱えるとき、その言葉と一緒に過ごしたかけがえのない日々が浮かんでくるのではないでしょうか。

今日は、久しぶりに古いアルバムを開いてみようかな、

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

合掌✴️田村千賀





4月12日(火)曜日について

4月12日(火)曜日について

今日は、「曜日」について書きます。
曜日といえば、月、火、水、木、金、土、日。
どうしてこんな名前なんでしょう。
海曜日とか、空曜日とかないです。

「チコちゃん」にきてみたいですね。

私は、この問いが時々、頭に浮かんでくることがあって、もちろん答えなど出ませんが、
なんでやろうと考えてみたりします。

私は趣味で「気学」を勉強中なんですが、
「気学」では宇宙は「陰陽」と「五行」で表すことができますというくだりが出てきます。
「五行」とは「木火土金水(もっかどこんすい・気が流れていく順番に読む)」
(これは中国で始まったので「木火土金水」ですが、インドだと「空、風、地、水、火」の5つで表現しています。)

さて、ここからは私の勝手な妄想です。
ぬぬぬ?「木火土金水」と「月」と「日」
なんだか、宇宙を表現しているようではありませんか?
太陽と月は私たちにとってなくてはならないもの。
そして、気学で言う所の宇宙構成要素の「木火土金水」
これが曜日になっていると言うのは、なんとなく「意味」があるような感じがします。(はい、妄想です(笑)

では、それぞれの意味を、気学や漢字の意味をあてて、見てみましょう。
(私の浅はかな知識からですから、皆様、ご容赦くださいね)

「日」太陽 「陽」を表す。
「月」月  「陰」を表す。
「火」火、熱い、燃える。(気学/1年では「夏」1日では「昼」)
「水」水、流れる、(気学/一年では「冬」を、1日では「夜」)
「木」木、五行の中で唯一命あるもの。(気学/一年では「春」を1日では「朝」)
「金」金、鉱物、きる、さます。(気学/一年では「秋」を1日では「夕方」)
「土」土、大地、育てる、つなぐ。(気学/土は、1年とか、1日とかには属しません)

(*とても簡素に大雑把にしか今回は取り上げておりません。ブログでは書ききれない内容です。
 興味のある方は、気学一緒に勉強しませんか・楽しいですよ(笑))

本当に簡単に書いてみましたが、面白くないですか?
それぞれの曜日に実は意味があって、それが地球や宇宙の仕組みやエネルギーの流れに沿っているのだとしたら…。

日曜は、お日様のエネルギーをいっぱい浴びてこれからの1種間のためにエネルギー充電。
月曜は、太陽が「陽」なら月は「陰」。日曜日に「陽」のエネルギーを充電したから、月曜に「陰」のエネルギーで
バランスをとる。そして、月は27や32で区切られるから、一ヶ月の単位だったり。月は命のリズムに関係しているから、1週間や一ヶ月の計画をたてたり、自分のエネルギーを整えたりするのによさそう。
火曜は、立てた計画をエネルギッシュにどんどん進める。
水曜は、燃えすぎた頭と体をちょっと安めて見返したり、余分な考えや心配は、流して、必要なものだけ残す。
木曜は、命の曜日だから、火曜に経験したことから水曜に余分なものを流して、自分の命に刻む日。
金曜は、金で切り捨てると言う意味があるから、木曜をしっかり生きてまた、心も物も断捨離していく。
    そして、来週のために物心を整えて次の週につなげる。(この世のこと)
土曜は、土は大地と宇宙をつなぐ意味もあるので、私たちの魂の故郷である宇宙(これは私の勝手な妄想)
    と繋がって、さらに次の1週間に叡智のエネルギーを補充する。

めちゃくちゃ、トッピな妄想ですよね。でもなんか楽しくなってくるのです。
(千賀はだいぶ変わっちゅうです(笑))
そう、私の妄想は、どんどん際限なく広がります。

こんなふうに考えたら、ちょっと面白くないですか?
今生活している日常をちょっと俯瞰(ふかん)から眺めてみると
違って見えたり、小さいことに捉われなくなったり、
楽しい。(私だけか…)

正しい、そうじゃないなんてこの際、どうでもいいんです。何度も書きますが、ただの妄想なので。
でも妄想ばっかりしてるとちょっとちゃんとした方の話を聞きたくなりますね。

「チコちゃん」に聞いてみよう!!!
取り上げてくれるかな????

私の妄想にお付き合いくださり、ありがとうございました。
しょうもないって思った方、誠に申し訳ありません。(笑)

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

合奏✴️千賀






4月11日(月)「よさこい」について

4月11日(月)

おはようございます。今日は「よさこい」について書きます。

盛大に賑やかな高知の「よさこい」がその姿を消して、丸2年。
よさこい祭りがあるのが当たり前の日常から、よさこいがなくても過ごせる日常が増えてきました。
まさか、こんな形て「よさこい」が止まるとは、本当に予想だにしなかった。
起こることには意味があるというのなら、この現実から学ぶことがあるという視点に気持ちと頭を切り替えて
ちょっと考えてみましょう。

よさこい祭りが止まってわかったこと。
(あくまで私の個人の主観です。(笑))

①「よさこい」は何より元気の元でした。体力的にも、精神的にも.
年に一度よさこいの時に会えるよ「よさこい友達」の顔は暑い太陽に照らされ、
みんなキラキラと輝き、「元気?今年も会えたね。最近どう?」って会話しながら
心のパワー充電できました。

毎日踊る生活が約2ヶ月続く。1年も6分の1は、猛練習。
1年間ためた全身のコントロール不可の余分なお肉たちもよさこいで消すことができた。
踊りがハードなチームでは、まるでコートを脱ぐように痩せていく踊り子さん達を尊敬の眼差して
眩しくみて、その努力に頭が下がったものでした。

なのに、よさこい祭りがない…。
運動量が急激に減ってしまった。ジムに行くとよさこい人によく会います。
先日久しぶりに東京のチームに行ってみたら、よさこいが止まった間にジムでめっちゃしまった体になっている方
も何人かいました。(素晴らしい〜〜)

ジムは一人で黙々と、自分と向き合いますが、よさこいは自分とも向き合いますが、誰かと繋がりながら
自分と向き合うという面もあります。
これは、時には人生の宝物に出会うこともあります。
よさこいがきっかけで結婚した方もたくさんいるし、一生の友達となったという方もたくさんいると
思います。人と繋がり、知らない自分を知る。こともできた。
まさに人生においてかけがえのないステージになっていると思います。

②「よさこい」の経済効果
よさこい祭りは、高知の経済を大きく回していました。
ホテルなどの宿泊関係、飲食、地方屋さん、衣装さん、音響さん、鳴子屋さん、バス屋さん、
お弁当やさん、照明さん、氷屋さん、きっとタクシー、他にもいっぱい。

もう書ききれませんね。よさこいがどんなにすごいお祭りだったか、本当に身にしみます。
たくさんありますが、私は1番は、町に「元気」がなくなったことです。

よさこいがなくなって、よさこい公害(混雑、騒音などなど)がなくなったことは確かにいいことがあったと思いますが、それ以上に町に「元気」がなくなったことが、私は気になります。

「元気」は「元」の「気」エネルギーの元です。

高知の先人の皆さんの「ふるさと高知を元気に」との強いの思いで始まった「よさこい祭り」。
そこには、高知への熱い思いと、人々が元気になりますようにとの世界共通の「愛」が込められています。
その思いのバトンを次世代へ繋ぐことが一番大切にしないといけないと強く思います。

よさこいがないと生きていけないという感覚から、よさこいがなくても生きていけるに感覚が変わっていくのは、
この状況では自然なことなのかもしれません。
どんなに寂しくても、受け止めるしかない時代の変化かもしれません。

でも時代を作っていくのは、「人の思い」なのではないでしょうか。
よさこいに込めた先人の「思い」は、一時は消えたかのように感じられても、
心の種火は消えることはないと信じています。

よさこいが始まってたった70年弱で世界の祭りとなりました。
どこの国でも「よさこい」は国境、言葉を超えて「共通語」になった今、
どんなに悲しい現実があっても、いつかは心に燃えているよさこいの種火が、世界に「元気」をとり戻す
愛の種火になることを信じています。
そのために、自分の中にある「よさこいへの思いの種火」を大切に灯し続けていきたいと思います。

よさこい万歳!!!

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

合掌✴️千賀





4月10日(日)「直感」について

みなさん、日曜日をいかがお過ごしですか?
さて、今日は「直感」について書きます。お付き合いください。m(^^)m

みなさんは、「直感」ってどう捉えていますか?
唐突にそんな聞き方されても????? ですよね。

「直感」って「ひらめき」という言い方でも表現できるでしょうか。
どうしようかな〜、どんなふうにしようかな〜って考えた時に、自分の中にフワッと浮かんできたり、
ピカ〜んて思いついたり。
今日、ここで書きたい「直感」はそんな「フワっ」や「ピカ〜ン」です。

いちいち「直感」とは捉えなくても、そんなひらめきや思いつきは、1日に何度もありますよね。

今までの人生を振り返ってみると、人生を大きく左右する局面でも、この「直感」に沿って道を選ぶようにした方が
後々、いいことに繋がるように思います。

ただ、「直感」が働いた時、すぐその後に「でも〜〜〜、」とか、「〇〇にダメって言われるよな〜」とか
色々考えてしまって、「直感やひらめき」を素直に選ばない時もあります。
今までそんなこといっぱいありました。
こんな事書いたら「変な人」って思われるがやないろうかって思ってしまう私もいます。
でも最近は、そう思われても「直感に従うことの凄さと直感の意味やシステム」を理解してきたので、
自然に「直感」に従って行動することが多くなってきました。
そして「一度しかない人生やもん。残り少なくなってきたし、どう思われようと信じた道を行きたい」
年齢を重ねるごとにそう思う気持ちが強くなってきた最近は、迷いなく直感直行便です。(笑)

===ここでちょっと脳のお話======
大脳には、右脳と左脳がありますね。
右脳は、イメージや感覚、記憶力、想像力、インスピレーション、ひらめきなどを司る脳です。
左脳は、言語や計算力、論理的思考、を司る脳です。

よさこいの振り付けで考察してみましょう。
例えば、音を聞いて動きのイメージが浮かぶ(直感/右脳)
このイメージをどのように現実にしていくか(チームのメンバーの人数、年齢層、好み、できることなどを考慮して整える/左脳)
いちいち意識はしていませんが、文字に起こすとこのように、大脳を使ってやってるわけです。
=====================

では、この「直感」はどっから湧いてくるのでしょう。
私は「宇宙の叡智」から湧いてくると感じています。
宇宙は、無限のアイデア箱です。ここにアクセスして必要なものを直感としてドシドシ下ろしているのだと
思っています。それをこの現実にするときに、どのようなものにするのかは、左脳で調整しています。
現れてくるものは、人それぞれの持っている感性(センス)でしょうか。
この感性を磨くのは、いろんなものを見たり、出会ったり、なんでもいいので「感動」体験を積み上げる感じです。
「あの人のセンスすき」とか「あんな感性もあるのか」と感心したり。
私は、大村先生の作る踊りの世界観は、いつも独特で興味深く感じます。
私にはないものを見せてくれて、何かひかれるものがあって、いつも目が離せなくなります。

また時々、「千賀先生どうやっ振り付け考えゆうがですか?」って聞かれると
「すいません。私がアイデアの泉にアクセルしてるだけなんです。」と答えます。
「直感」はすごいパワルフだし、早いです。
そして、何より楽しい。

「直感・インスピレーション」

みなさんは、この直感をどのように使っていますか?

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。

合掌✴️千賀