5月19日(木)須賀先生の言葉『無気力 無感動 無責任を正せ」
5月19日(木)
今日から、須賀先生のことを連載で書いていきたいと思います。
お付き合いくださいませ。
コロナウィルスが蔓延して以来、よく「須賀先生ならどうするかな」
と考えることがあります。
須賀先生が、短い一生を駆け抜けて天に召されてから早11年めです。
先生との思い出は、今でも色あせることなく心に残っています。
いつも笑顔の人でした。時々は夜叉のような表情で怒られることもありましたが、
それを忘れてしまうほどの太陽のような暖かい笑顔でした。
今思い出すのは、満面の笑顔ばかりです。
一番の思い出は、やはり馬路村魚梁瀬の民宿満木荘で一緒に泊まった時のことです。
満木荘は、早明浦ダムの湖畔を望む静かで、おかみさんの心遣いがあったかい民宿です。
須賀先生と馬路村にジャズダンスを教えに行ったのは、今から32年ほど前です。
私は、先生のアシスタントとして同行しました。
楽しく会食をした後就寝。少しお酒もいただき、私はぐっすり眠りました。
そして朝起きると、須賀先生が「夕べ、枕元に白い髭のおじいさんが現れて、
世の中の無気力 無感動 無責任を正せ と言って消えた。」とボソっと言いました。
その時は、「そうなんですね。なんか意味ありそうな夢ですね」みたいに答えたと思います。
深く気にも留めてなかったのですが、その後何年かしてから、雑誌「スコラ」に須賀先生が特集
されていて、その記事の中にこの件が出てきたのです。
あの夜、須賀先生は、神秘体験をしたんだ。
その隣で、私はガーガーといびきをかいていたのだなと思うと恥ずかしいような、残念なような
何とも不思議な感覚になりまた。
私もその後、満木荘に止まることがありましたので、神秘体験してみたいと
寝る前にリクエストしますが、いまだにリクエストに応えてはもらえません。
人にはそれぞれ役割があるそうなので、私は違う出会い方なんですね。と心で答えていました。
その日以来、須賀先生の「無気力 無感動 無責任を正せ」の道のりが始まったのだと思います。
続きは、明日のブログで。
合掌✴️田村千賀
5月18日 「よさこい特別演舞に寄せる思い」
5月18日(水)「よさこい特別演舞に寄せる思い」
何が何でも今年はよさこいをやらなやきゃと強く思います。
このまま今年もなかったら、よさこいがない高知でいろんな事が整っていくような気がして寂しいです。
もちろん、よさこいなくてもいいんじゃないって考えの方もいらっっしゃるとは思いますが、
やはり、私はよさこい祭りは、元気の源、いえ細胞の中に浸透しているなあと感じます。
踊ってなくても、この祭りがないのは嫌です。(^0^)/
よさこいを通して、知らない方と一緒に何かを作るって、すごく刺激になっていたのだと今あらためて思うのです。
そんな体験がなくなると子供達、大人、年齢を超えたつながりが薄くなっていくような気がします。
とにかく今年やらないと、よさこいの未来はない!と大げさに考えてしまうのです。
ですから、よさこい特別演舞に向けて、「祭三代・IKU!」も準備を進めています。
しかし現実はなかなか厳しい。いつものようには、なかなか踊り子さんが集まりません。
(それは仕方ないです。まだまだ安心と言えない。一度失った安心を取り戻すのは時間がかかりますね。)
また、地方がないと出場できません。特別演舞だったら、地方車なくても出場できるように
してもらえたら、もっと気軽に参加でいるのですが、なかなか厳しいです。
通常地方車は150万〜200万です。その金額は、踊り子の参加費に跳ね返ります。
そこで今年は共同地方での出場が認められました。
私たちは共同地方ということで東京の「ぞっこん町田’98」さんと共同使用する予定です。
今年ばかりは特別演舞だから、競演場のタイムテーブルがあったらチームが動きやすいし、
見にくるお客さまへのある程度の人数制限などもできそうですが、
例年通りの運営です。
どこの会場から回るか、出たとこ勝負です。高知スタイルです。
この際、特別演舞だからできることがあると思うのですが、私たちは遠巻きに祈るばかりです。
高知のよさこい祭りは、たくさんの団体によって運営されていて、それが一つにまとまった
組織委員会的なものはありません。
なかなかいろんな意見がまとまりません。
問い合わせもいくつかの所に問い合わせをしていかなくてはいけない状態です。
この高知方式は、長い歴史の中で、少しずつ家を増築するように、増えてきて今の形となっています。
それは、それぞれの時代を生きた先人の皆さんがこうすれば実現できると
いろんなハードルを乗り越えてできたこの形となっているのです。
それは、いいところもあれば、弊害になっているところもありますが、
それを急激に変えるのは、なかなか難しいことです。
参加する人、この祭に関わる人、それぞれがより良い「よさこい祭り」を目指して
知恵を出しあう場所があればいいなと思います。
しかし、いざとなったら、めんどくさいことには首をつっこみたくない。
私が出て行っても何の解決にもならない。
何とかしたいと思ってもやりようがない。
出てくるのは、諦めや言い訳めいたセリフばかりです。
自分自身も紛れもなく、その一人です。情けない。とても非力です。
思い切った一歩が出ません。手を上げる一歩が出ないのです。
それに私が手を揚げたことで、かき混ぜる結果になることが一番よくないことです。
昔は後先考えずに突っ走ったのに。これが年を重ねたということでしょうか。
何か突破口はないか。事務所でそんなことをツラツラと考えていると、スタジオから
鳴子の音と笑い声が聞こえてきました。
そうだ!まずは踊ろう。
踊れば、何か見えてくる。
今頭で考えていることも踊ったら意外と簡単に解決することもあるかもしれない。
鳴子の音がそんな風に聞こえてきました。
やっぱり鳴子の音ってすごい。
不思議な力があると思います。
みなさん、よさこい特別演舞をどうぞ応援してください。
合掌✴️田村千賀
5月17日 ボ〜とする
毎日、あれやこれやとせわしなく動く。
脳は、途切れることなく考え続けている。
少しは休んだらと声をかける隙に、また色々考えている。
ちょっとボ〜っとしてみよう。
ボ〜っと。。。
あれ、1、2秒経つと、早くも脳は何か考えている。
これはいかん。脳が勝手にトップギアに入って暴走してる。
よし、瞑想してみよう。
まずは、呼吸に集中して…。
吸う息と吐く息、静かにゆっくりと…。
あれ?やっぱりすぐに脳は考えている。
も〜〜〜、どうやったら脳はお休みするんだろう。
そもそも、脳はお休みするのかな。
ボ〜〜〜とするのって意外と難しくない??ですか?
それでもボ〜っとしようと頑張ってみると
今度はボ〜っとしたら、なんもわからんなってしまわないかと不安になる。
私は、かなりの重症?なんじゃない???。(なんの重症かわかりませんが (汗)
みなさん、どう思いますか?
ボ〜とするのって、意外とできないぞ〜〜。
専門家に聞いてみたいです。
ボ〜としたらこんな文章になりました。
みなさま、よかったら、今日は、感想いただけると嬉しいです。
合掌✴️田村千賀
5月16日(月)サプライズ
今日は5月16日ですが、5月12日木曜日のことを書きます。
先週の木曜日に、久しぶりに「サプライズ」を頂きました。
思いもかけない嬉しいことです。(笑)
リトルを卒業してはや10年以上経つOBのあきほとちづるが、ひょっこりスタジオに
と現れて、久ししぶりに私のレッスンを受けてくれたのです。
全く予想もしてなかったので、本当にびっくり。
目には写っているけど、脳みそに入るまでにものすごく時間がかかってしまった。
ちづるは卒業後は演劇に進み、今では東京で舞台を中心に活動する女優さんです。
みなさん、応援よろしくお願いします。(礼)
あきほは、高知市内でお店を継いでいます。
ムカデやの近くにあるおしゃれな雑貨屋さん「うふ」です。
お近くに行かれた時は、ぜひ寄って見てくださいね。(礼)
二人がリトルに在籍していたのは、知寄町スタジオの頃でした。
知寄町1丁目のバス停の前。今は、高知銀行関係のビルになっています。
私がリトルに専念した頃、35歳の時に作ったスタジオです。
ここで約15年ほど過ごしました。
小さなスタジオでしたが、なんとなくあったかくて楽しかった。
狭かったですが、居心地のいいところでした。
こうして卒業生たちがひょっこり顔を出してくれるのは、私にとってはご褒美です。
懐かしい顔もどこかしっかりして、現役の頃はキャピキャピしてたけど、
しっかり落ち着いて。「もう30ですよ」とか言ってましたが、
まだまだ30です。
なんでもできる。これからこれから。今からが面白くなるよ。
と心で思いながら、「私は60」と返しておきました。
レッスンが終わった後、久しぶりに当時の踊りを二人で踊ってくれました。
それにしても12年も前の振りをよく覚えているもんですね。
懐かしてくて、嬉しくて。
なんてことはない会話ですが、その裏に、いろんなメッセージがあって、
元気をもらいました。感謝感謝。
背筋がピンとした思いです。
ありがたい。
幾つになっても、幸せで、元気でいてくれることが、私の望みです。
素敵なサプライズ!!ありがとう。
合掌✴️田村千賀
5月15日(日) 母の一周忌
去年の今頃は、母と話が出来ました。
次第に衰えていく母の体を心配しながら、「永遠」はないよね。
と、心でくるべきその時をぼんやり覚悟していました。
母が静かに旅立ったのは、去年の5月20日の朝でした。
早くも1年が経ちます。
本来なら、49日に納骨するのですが、とてもそんな気になれず、
納骨も1年伸ばしていました。
20日の前の日曜日は、5月15日ということで、少し早めの1周忌法要をしました。
親戚の皆さんに集まっていただき、お線香の香りと住職の雄々しい声の響きに
慰められながら、姿は見えないけれど近くにいるなと感じておりました。
天に登って母とはお話はできないですのが、時折通訳できる人いてくれたらなあって
本当に思います。
やっぱり幾つになっても話したいですね。
無理だとわかっているのに、やっぱり話したい。
母は満95歳まで長生きしてくれました。
でもまた生きるつもりだったと思います。
100歳までと話していましたから。
私が、心にポッカリ穴が開いて不安定になったのは、去年の12月くらいでしょうか。
なんとも言葉にならない後悔と向き合ったり、自分の生き方がこれでよかったかと考え込んだり…。
母を幸せにできたか、もっとやれることがなかったか…。
みんなは、「そんな顔しよったらお母さんが心配するぞね」と慰めてくれて落ち着く。
落ち着いては、また考えての繰り返し。
そういえば、小さい時からなんか悩んだ時は、なんとなく母の「まあ、えいわね」
の一言で次へ進めていたなあと思い出しました。
「まあ、えいわね」
何がいいかもよくわかりませんが、やっぱりホットしたものです。
私は、ただ「まあ、えいわね」って言われたいのだなとわかりました。
母のお墓は父との夫婦墓です。父が死んだ時に、母がそうすると決めました。
二人並んでそっとそこにいます。
父が旅立って35年も経ちました。
今頃、空の上から、二人してニヤニヤしながら眺めてくれていると思います。
「さあまた会えるまで、もちょっとこの人生を楽しむのでみよってよ。
一緒に色々やろうね。」
と二人に心で話して、山から降りてよさこいを盛り上げにいきました。
最近子供が親を選んで生まれてくる説を信じております。
私は覚えていませんが、母を選んで正解と思っています。
お母さん、産んでくれて、ありがとうございます。
天に向かって手を合わせます。
合掌✴️田村千賀